釜石の「呑ん兵衛横丁」再開 仮設店でまず5店
横丁から復興のともしびを−。津波で全壊した釜石市大町の飲食店街「呑(の)ん兵衛(べえ)横丁」が23日、釜石市鈴子町の仮設飲食店街で営業を再開した。震災前に営業していた25店のうち15店が順次入居する予定で、同日は5店舗が名物盛り場復活への一歩を踏み出した。常連客らが早速駆け付けて店が温かい雰囲気に包まれる中、再スタートを祝った。
同じく、岩手県釜石市の復興の記事です。
鐘の音に復興託す JR釜石駅前にシンボル登場
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111218t35008.htm
東日本大震災で被災した岩手県釜石市の復興のシンボルにしようと、市民有志の「釜石復興の風プロジェクト」(八幡徹也代表)が製作していた「釜石復興の鐘」が完成し17日、JR釜石駅前に設置された。31日に除幕式を行う。
この夏頃に、縁あって釜石市の支援に、少しだけ協力させて頂きました。
避難場所以外の被災された方々には、支援物資の品物が届けられない状況があり、その支援の隙間で困っている人たちの為に奔走されていたある商工会議所の女性がおられました。ある方を通して、協力させて頂くことになり、いくつか支援物資を送らせて頂きました。マタニティ服や、乳幼児の衣類等等です。声をかけさせて頂いた皆さん、快く協力して頂き、大変感謝いたしました。
また、飲食店で使う食器類のニーズがあり、それが、上記の「呑ん兵衛横町」で使う食器でした。
信楽の知り合いの方にお願いして、陶器組合の方につないで頂き、器を送って頂きました。
ちょうど、信楽の方々も、陶器を送ろうと準備しておられたのですが、当時、避難所では、食器が洗える環境になく、使い捨ての食器を使っておられ、避難場所でのニーズがなく、支援先を探していたとのことで、快く引き受けて頂きました。今回、ようやく再開の記事が届けられました。
また、釜石の復興の鐘の作成の話も聞き、東北支援の物資販売で、うちわの購入も声かけて、観光物産関係の方々の支援を頂くこともできました。
微力ながら関わった支援が、上記の記事の通り形となり、何百分の一の支援でも、我がことのように、大変嬉しかったです。
復興には、まだまだ気が遠くなるような道のりだと思います。
でも、人の力は、希望を持っている限り、すごい力が出せること、今回の震災での様々な報道で知りました。
これからも、被災地支援を忘れることなく、全ての復興が、一日でも早くなされることを祈念したいと思います。
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