2014年4月

 草津市議会議員の西垣和美です。
 この春、学校や職場等、新しくスタートをされた方々はようやく、新生活のリズムや環境に慣れた頃でしょうか。
 桜もすっかり葉桜となり、今、あちこちで目にするのが、ハナミズキです。市役所の庭にも数本のハナミズキの樹があり、白とピンクの花が今ちょうど真っ盛りで、とてもきれいです。
 車で市内を走っていて、住宅の周りに花を植えている家が増えたなあと感じています。明るい春の日差しと色とりどりの花がよく映えて、街が一層明るく感じられ、景観は大事だとつくづく思います。

 私が住んでいる地域は、まだまだ住宅の開発が盛んで、田んぼが見る見る少なくなっています。ほとんどが兼業農家で、後継者がいない時代、その上、耕作放棄地に関しては指導があり、地権者は出来れば土地を売りたい、ということは良く聞きます。
 一方、他市から引っ越ししてきた住民は、草津市は、緑があって自然がそこそこに残っていることも魅力であり、田んぼや緑は減ってほしくない、と言われます。私も、出来るだけ自然環境は残してほしい派です。土地を手放す理由もよくわかりますし、互いの折衷案というものがないのかなぁと、最近開発されている地域内の横を通るたび、思ってしまいます。

 行政の仕事も、この相反する意見をどうとりまとめ、どちらの意見を重要視或いは優先するのか、大げさに言えば、日々戦いです。時には、だから何も出来ない、という場面もあるわけです。行政は、市長が判断した政策を執行するので、市長が決めたことは、実行しなければなりません。と言いながらも、今や行政は、必ず市民の意見を聞きながら、市民の参加無しでは、政策を勝手に実行することはほとんど有り得ない時代です。それは当たり前のことですが、市民が主権者だからです。

 自治体の一翼を担う議会は、市民の代表ですが、この「代表」という言葉が、誤解を招くことになっていると最近よく思います。それは、当選して議員になれば、自分の意見が=市民の意見である。だから、市民の意見は聞かなくて良い、という考えに陥ってしまう傾向にあることです。
 代表には間違いないとしても、全ての政策を白紙委任している訳でなく、また出来ない、と思います。代表であるからこそ、市民の意見を聞いて、行政が提案する政策が市民のためになるものであるかを総合的に判断することが求められているものだと思います。

 人は誰しも、自分が経験したことはわかりますが、その他のことは知らないことが多くあります。行政の事業は、本当に多岐にわたっています。議員といえど、当然、自分の経験でしかわからないことが多くあり、議決という政策への意思決定の判断を何によれば良いのでしょうか。
 かといって、全てにプロフェッショナルになる必要はなく、また不可能です。だからこそ、議会は、専門的な知見を参考にするシステムが必要だと思います。また、市民の中には、テーマによっては、かなり専門的な知見を持っている方も多数いらっしゃるし、また、課題となっていることの当事者でないとわからない、ということも沢山あります。
 議会こそが、そういった場面場面での、またテーマによる、より多くの市民の声をきかなければならないと思います。それが、開かれた議会です。それを実施しようとすると、時間や労力が必要です。しかしながら、選ばれた議員は、当然それが仕事であります。
 多くの意見を聞いたうえで総合的に判断し、最後に一つの答えを出すのは、議員の仕事であり、力です。
 根拠のある理論でなく、私的な意見は当然説得力もないと、自分の経験から、よくわかります。大昔は、理論でなく、声を大きく、机を叩く、ということで職員にいうことをきかせていた、ということもあった、と聞いていますが~
 だからこそ、議員は日々、勉強が必要です。それでも、追いつかないのが現状ではありますが、基礎的な知識は最低必要であり、また、時代は、かなりのスピードで変わっていますので、情報を常に意識することも必要です。
 全て、当たり前の話で恐縮ですが、自分自身の戒めとしても、再認識致しました。
 
 
 
 
 
 
 

花見から考えること

 草津市議会議員の西垣和美です。
 先週頃には、急に冬に戻ったと思う位寒くなりましたが、そのおかげで桜が長く持ちました。
 草津川跡地の桜もやはり見事で、通りかかるたびに、大勢の方が花を愛でておられる光景が見えました。桜を見ると、毎年、日本人、ということが特に意識される季節でもあります。

 娘夫婦が3週間ほどの予定で家に滞在しているのですが、夫がアメリカ人で、桜を見ても特段の思いは当然無い、との感想。また、桜の木の下で、飲食する花見のスタイルを不思議がっていました。なぜ、わざわざ、木の下で食事をするのかわからない、と言っていました。
 それを聞いて、これまで当たり前と思っていた花見ということを、つまり、花を観賞することと、食事をすることが一緒になっていることが、日本独特のスタイルということを知りました。

 そう言われれば、特に意識していなかった花見の由来を、今更ながらに知らなかったと気づき、ネットで調べると、もともとは呪術的な行事で、稲作を行う農村では、長い冬が終わり、暖かい春の始まりともに桜が咲き、その咲き方で一年の豊作凶作を予想する一つの材料になっていて、その桜の木にお神酒やお供え物をして一年の豊穣を願ったのだそうです。
 それが、奈良時代から平安時代にかけて、貴族たちの間で行われた花を見ながら歌を詠む会が行われ、そのスタイルが「花見」の起源とされます。
 娯楽としてのお花見が庶民の間に広まったのは、豊臣秀吉の時代から江戸時代にかけてのようです。

 改めて、なるほど、と。また、アメリカでは、ほとんどの州が、公共の場でお酒を飲むことは禁止されているので、桜の木の下で、宴会、ということは出来ないようです。
 散策かドライブで楽しむのだそうです。
 市の職員さんに聞いたことがあるのですが、ずっーと前には、職場での花見は必ずあって、かなり賑やかに行われていたようです。今は、飲み会自体がほとんどないし、誘っても若い職員さんは参加したがらない風潮で、これは、日本全体の傾向ですが、良い悪いは別にして、ノミニケーションが多世代で行われることはかなり減っているみたいです。
 先日、地域のある組織での部会のお疲れさん会をしました。組織自体は、いわゆる充て職で構成されていて、世代も30代から70代までのメンバーがいたのですが、とてもコミュニケーションがうまくとれ、1年間での部会は数回でしたが、毎回、和気あいあいと楽しくさせて頂きました。最後に、お疲れさん会を開こうと、若い方から声を上げて頂き、お城の話で盛り上がったり、最後までみんなが楽しく時間を共有することが出来ました。
 
 花見の件のように、文化が違うと自分にとって当たり前だと思っていることが、当たり前でない、と気づくことは、自国の文化や他国の文化をより知ることが出来たりして大事だと思います。
 同様に、世代や職業や立場が違った人たちが考えていることや価値観の違いを知る、ということは大変勉強になります。
 色々な立場の人、年代の人が、フリーに対話をする場が、これからは、どんどん必要になってくるし、そういう場づくりが、まちづくりにつながると思います。

 草津市が進めている「まちづくり協議会」は、まさしく、地域に住んでいる人や、活動している人、働いている人、事業をしている人等々を包括的に取り込み、地域のまちづくりに意見を反映できるような仕組みを作ることができる組織だと思いますし、そのような組織を目指していって頂きたいと思っています。
 まちづくり協議会も、認定、という形を取ることがスタートします。市の示す方向性に異論はありませんが、まだまだ過渡期でもあり、これから長い時間がかかると思います。
 市の支援、方向性等、議会としても一部分にとらわれることなく、全体を俯瞰して建設的な意見が言えるよう、議員間討議が必要だと思っています。

 
 
 
 
 

 
 
 

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