2018年10月

 草津市議会の西垣和美です。
 少々、長文となります。
 先日、発達障害の勉強会で知り合いになった佐藤明子さんからのご案内で「見えない障害から 地域のつながりを見つめ直す」との講演会に米原に行って来ました。

 18歳の時に脳硬塞で倒れられ、以降、身体機能と高次脳機能障害の後遺症を抱えられた小林春彦さんが講師でした。
 聞きおわって、障害に対してのこれまでの概念や視点を変えていきたいと思いました。大変勉強になりましたので、講演の内容をお伝えしたいと思います。

 高次脳機能障害は、外からは見えない障害です。見えないことで、周囲の誤解を受けやすく社会生活の困難さが増します。
 障害の大小と困難の大小とは一致しない、と。
困難は社会が作る。社会の在りかたで障害者の「困難」が減ったり。
障害のない健常者だって「困難」を抱えたり。
そもそも、障害って?

 障害は変えることの出来ない限界だけれど、「困難」は社会の配慮によって変えることの出来る可能性がある。
 スウェーデンでの障害者への対応の違い。バリアフリーという、そもそもバリアが存在すること自体おかしい。だから、バリアフリー、という言葉に違和感を感じると。社会で困っている人の存在の考え方が違う。
(バリアフリー自体の考えがおかしいなんて考えなかった)

 リハビリの概念も変わる。テクノロジーの進歩により、障害者が健常者を目指してリハビリするという必要がなくなる。例えば、字を書く、字を読む、記憶する、といった機能はテクノロジーの活用で、それらが出来るようになる。
 健常者に近づく訓練を目的とするのでなく、限りある人生をどう生きるか、という生き方に対しての目的と手段を明確にしていく。
 教育の現場で発達障害などの目に見えない障害にテクノロジーを取り入れることが何故ダメなのか、わからない。

 自立と依存について。
 障害者と健常者と、どちらが沢山の依存をしているか?
 答えは、健常者。
 自立(しているように見える)人は、依存先が沢山ある。小さく細かいだけに依存していることがわかりにくく、意識しない。例えば、何か嫌なことがあったときに、友達とカラオケに行ったり、趣味や仕事に没頭したり、友人や家族と他愛ない話をしたり等々が出来る。
 一方、例えばアルコール依存症等の依存先は、一極集中となる。人間不信や精神論に執着するがために人でなく物に依存する傾向となる。依存症の治療は依存を断ち切るのでなく、依存先を増やすこと。依存先の一極集中から、複数分散へ。

 自立というと、他人に頼ってはいけない、とか精神論になるが、精神論では自己肯定感は得られない。「自立」ではなく「孤立」への道にいってしまう。
 インディペンデント(独り立ち)からマルチディペンデント(持ちつ持たれつ)の考え方に。

 依存先を増やすことで「自律」出来たら、頼るということも含めて「自立」出来る。駆け込み寺を沢山用意して逃げるための道具を沢山使う。一人で頑張るという考え方でなく。
 このことは、たまたま昨日読んでいた、発達障害専門の明蓬館高校の日野公三校長先生の著書にも書かれていました。
 発達障害の子どもへの支援について、「他人の支援があればできること」を増やす。依存できる人や依存出来る対象を増やしてあげること、とあり、自分一人で出来ることを増やすより、多くの他人の力を使って、自信を深めていく、スキルを増やしていく。高校での自立とは本人が出来ることを増やすのでなく、依存できる人、依存できる対象を増やすこと、と。
 私もそうでしたが、多くの人が自立とは、一人で頑張る、一人で出来ることと思っているかと思います。

 障害は、2つの定義がある。
医学で定義される診断名と、個人と社会との間にある距離。
 医療モデルと社会モデル。人が社会に近づくのか、社会が当事者にたいして近づくのか。
 アディクション(依存)の反対はソーバー(しらふ)でなく、コネクション(繋がり)

 障害者だけでなく、生きづらさを抱えているのは、誰にでもある。
 アナタもワタシも見えない「何か」を抱えて生きている。
 繋がりの社会を作っていくことの大事さを障害者当事者の視点から、障害の有無に関わらず社会の在りかたに視点をおいた話でした。

 あらためて、障害とは?と考えさせられ、社会の構造や環境等で生み出される困難をなくしていかなければと思った講演でした。

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