情報について考えること

 震災発生から2週間以上が経過しました。テレビで映し出される瓦礫と化した町から、いかに津波が脅威的であったか、今更ながらに恐怖を感じます。
 被災された方々にあらためてお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興を祈るものです。

 震災の報道から、情報というものを考えさせられました。震災直後からつい最近まで、どのテレビ局も画一的な、津波が町を飲み込む状況と避難所での足らないものは何ですか?とのインタビュー...、まるで支援物資を送らないと、いてもたってもいられない報道の内容に、どうやったら送ることが出来るのだろうかと、多くの方が問い合わせられたようです。
 確かに物資が足らない、という事実があるにせよ、被災していない地の視聴者が知りたい情報は、足りないけれども今は個人では物資が送れないこと、その理由、また支援物資が届けられている実際の状況、それぞれの立場での今一番できる支援法、といった内容が知りたい情報だったと思います。また、つい最近被災されたある作家の投稿の新聞の記事に、テレビで流される情報は被災地で欲している情報が何もなく、被災地の悲惨な状況の繰り返しばかりで、憤りさえ感じた、という内容のものがありました。

 メディアの発達で、瞬時に遠くの情報が自由に知り得ることは大変有用なことですが、情報を流す(作る?)側からの意思で、受け手がかなり影響を受ける、という恐さもあります。
原発事故の情報はその最たるもので、情報如何で、国民の生活や生命さえにも影響を及ぼすもので、今一番国民が知りたい情報は、原発事故の正確な情報です。

 昨今の短期間で変わる首相の交代にも、世論という情報がかなり影響を受けていることは指摘をされています。
ポピュリズムに流され、国民や有権者の歓心を得ることを優先にし、バラマキになったり、課題を先送りにする、という政治的な問題も発生する懸念も生まれるかと思います。

 少し、話題から飛躍するかもしれませんが、草津川跡地利用の基本構想の内容について議論になっていることも、この「情報」ということで、色々と考えさせられることがあります。

 この基本構想に関しては、パブリックコメントがつい最近締め切られ、その全内容について25日の市民検討委員会や本日の特別委員会で資料が配られました。
パブリックコメントのご意見の中で、基本構想を策定する上での、情報の周知、情報の収集(市民の意見を聞くこと)について、市民の方からかなり厳しい意見が出ていました。
 草津市にとって、100年の計とも言われている大変大事な計画を、このような情報の出し方で本当に良いのか、市民への説明をもっと丁寧にすべき、といった内容はもっともなご指摘であると思います。

 これは、行政が計画や事業を決定した後に、私たちがその情報を知った時に時々感じる疑問と同じです。
市にとって大きな計画や、多額のお金が使われる事業が、どこでどういう議論をして決ったのか、また、当初と内容が変わった時には、どこでどのような議論を経て変わったのか、が現状の情報の出し方であれば、わかり辛い、見えにくいということを感じています。

 行政にしたら、プロの集団ですから任せてくれれば大丈夫、という意識もあるのかもしれません。が、それが民意とは乖離している計画や事業であれば、取り返しがつきません。市民サービスを作る側と受ける側のニーズが一致していなければ税金の無駄使いにもなりかねません。
 その乖離を事前にお互いに知ることは、情報公開であり、情報の共有であると思います。それも、政策形成の過程での途中の情報の提示開示こそが、大事だと思います。

 草津川跡地の利用の計画は、区間⑤という区間での道路の是非を含めて今後、丁寧に議論をし、市民の方々にもしっかり説明し、意見交換も行っていくという行政の答弁がありましたので、途中の推移をしっかり見ていきたいと思っています。

 被災地でも、卒業式が行われています。子どもたちの笑顔に、希望をもって、必ず復興できることを確信しています。

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