2012年2月

手段と目的

最近、手段と目的について考えさせられることがあります。
手段とは、言うまでもなく、目的を果たすための方法で、あくまで目的が主眼です。
当たり前すぎることなのですが、これが結構、手段が目的化してしまうことがあります。

わかりやすいのが、政治の分野です。
例えば、政権を取ることは、あくまで手段であって目的ではありません。
ですが、政権交代をしてからの政府をみていると、あまりのぶれようにどんなビジョンがあったのだろう、と思わざるを得ません。

このことは、首長、議員、といったものに置き換えられます。
わが身にも置き換えて、議員になることはあくまで手段であり、何を目指すのか、が大事であり、負託した市民の思いを忘れてはなりません。

特に首長といった権力を行使できる立場であればあるほど、手段と目的を取り違えると(なることが目的となる)、市民が不幸になります。
何よりも私自身、初心忘れるべからずと、戒める今日この頃です。

これは、行政の事業を実施する場合も気をつけなければなりません。
過去の議論を要した事業のなかには、手段が目的となっている、と思うこともありました。その多くは、理念が無いか、形だけ、といったケースです。

明日より、議会が始まります。3月は、新年度の予算が上程されます。初めて、一般会計400億円突破ということです。
行政の予算の考え方は、使うお金の金額、ですので、市債(市の借金)も含まれます。ですから、多ければ良し、ということも無いわけです。今回、予算の金額が大きくなった要因は、こどもの手当てが大きい、らしいですが...

予算審議、頑張ります。

銀世界の製鉄遺跡

陣内峠遺跡

陣内峠写真2
会場の銀世界の瀬田文化公園(上)  復元された製鉄炉の一基(下)

18日の土曜日、大津市の瀬田文化公園で行われた「源内峠遺跡復元」の完成記念式典に参加致しました。
この遺跡のことは、今回初めて知ったのですが、7世紀から8世紀にかけて、瀬田丘陵地域一体、製鉄のまちであったそうです。その製鉄炉遺跡がちょうど、瀬田文化公園の下に眠っていて、瀬田東学区の住民の方々が中心となって、この度、古代製鉄炉が復元されました。

当日、朝目が覚めると、一面真っ白で、「これは中止かもしれない」と思っていましたが、予定通り行われました。
場所は、西駐車場の奥にあり、あたり一面雪景色で、とてもきれいでした。きっと、この式典がなければ雪が融けた頃にしか外に出ていなかっただろうと、雪を踏みしめながら、感謝していました。

さて、式典には、県の教育長はじめ、大勢の来賓の方々が参加されていました。ほとんどが、大津の方で、草津市からは、文化財保護課の課長さんが出席されました。製鉄遺跡といえば、草津市も大きな遺跡がいくつかあります。
野路小野山遺跡や、木瓜原遺跡等々です。古代は、当然、大津市、草津市なんて、線引きありませんから、丘陵一帯で、製鉄に携わる集落があったのではないか、ということです。

大津京や、平城京といった、国造りのための製鉄の産地、今でいう、コンビナートだったようです。
今後、草津市さんと、鉄サミットみたいに、連携、協力していきましょうとのお声かけがあり、今後どのように、この遺跡を活かしていくのか、知恵を出し合っていきたいと思います。

また、この復元の事業の素晴らしいところは、住民主導である、ということです。誰かに(行政)に言われたのでなく、文化の継承、発信を通して、まちのコミュニティの活性化に繋がるということで、携わっておられるみなさん、本当に熱意ある方ばかりで、大変頼もしいものでした。

草津市も今後、文化と観光のマッチングで何かできないか、と数人のかたと談笑し、会場を後にしました。
まずは、勉強会かな~  良いアイデアありましたら、よろしくお願い致します。

先月末、会派の視察研修に行ってきました。
今回の研修先は、3か所でしたが、そのうちの2か所は、民間の団体への視察でした。
どちらも、創始者の熱意があったればこそで、今までにない仕組みを創るときのカギは、やはり「人」だと実感しました。

そのうちの1か所は、東京都港区で発達障害児への学校現場での学習支援員を要請、派遣するNPO法人です。

きっかけは、藤堂会長さんの自分の息子さんが、発達障害と診断されたことがきっかけでした。中学校時代に、どうしても学校になじめなく、イギリスの学校に行きたい、との本人の希望で、単身(!)イギリスの学校に行って、そこで診断をされ、学生時代に適切な支援を受け、今は、建築家として活躍されているとのこと。当時の日本(15年前)の学校では、ほとんど発達障害児の認識がなかったころでした。(日本ではH19年度から、特別支援の法律が施行されました)

話を伺って、日本と外国と決定的に違う言葉がありました。それは、発達障害と診断がなされた時に、お母さんに伝えられた言葉です。「お母さん、おめでとうございます!」と言われたそうです。それは、大変個性豊かで創造力がある、との認識から出る言葉だということです。現状の日本では想像するに、イメージや症状から、マイナスに受け止められがちですが、プラス思考での最初のスタートがあるかないか、支援に対する安心感があるかないか、で、最初に受け止める心の在り様が違い、その後の子どもへの接し方や考え方が大きく、変わってくると思います。
また、そのような前向きな言葉が出ることは、対象の子どもたちへの適切な支援があり、自信を持って言えることが大きいと思います。
(事務所で見せて頂いたパネルに、発達障害だろうと言われている世界中の著名な人たちの写真が~、有名な人はアインシュタインですよね)

当時、その息子さんが言われたのが、「自分もすごく学校で苦労していた。きっと自分のように困っている人が他にもいるはずだから、お母さんが助けてあげて」と言われたことが、現在のNPO法人を立ち上げるきっかけとなったそうです。当時、学校に行ってそのことを話しても、「本校にそのような児童はいません」と校長先生が言ったそうですが、藤堂会長は、ひるまず、そんな筈はない、と粘り、何もないゼロからの出発をされました。
最後に言われた印象的な言葉もありました。「困った子」ではなく「困っている子」なのだ、と。
ちなみに、発達障害児支援の先進国のアメリカでは、20年以上前から支援を初めています。

行政相手に、色々とご苦労もされたようですが、しっかりと構築ができたのは港区の教育長の理解と支援が大きかったようです。
やはり、財源がないと事業はできないので、そういう意味でも行政との連携(理解、支援)は大事ですね。

本市においても、財源措置は他市と比べて予選措置はしっかりして頂いていますが、24年度は、様々な国からの財政措置が切れてしまう年度です。市単独で、どこまでの措置がなされるか、もうすぐ、予算審査も含めた議会が始まりますので、しっかりと審査をしていきたいと思っています。

  • プロフィール
    草津市市会議員
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